歌舞伎の泰斗である坂東玉三郎と昆曲は切っても切れない縁がある。彼の物語をひも解き、昆曲との半生の縁を探ってみよう。
偶然の出会い
坂東玉三郎の昆曲への青眼は、彼の家族と京劇の縁から始まる。祖父十三代守田勘弥はかつて訪日した中国京劇の巨匠梅蘭芳と同じ舞台に立ったことがあった。のちに玉三郎は梅蘭芳の子である梅葆玖から京劇の名作『貴妃酔酒』の舞台での歩きぶりや袖を払う型を学び、彼が出演した歌舞伎『楊貴妃』の中で応用する。この期間、彼は京劇と昆曲が深いところで本源を共にしていることを理解し、梅蘭芳の足跡を追って昆曲を追求する。
2007年、玉三郎は蘇州を訪問し『牡丹亭』を鑑賞する。彼は昆曲の名人張継青の演技に一目惚れし、昆曲特有の柔らかで美しく繊細な音律に深く惹かれ、自らも『牡丹亭』を演じてみたいという願望の萌芽を抱いた。
昆曲研究に没頭する
玉三郎は張継青と共に杜麗娘の部分部分の演技技術について深く研究を開始した。中国語を解さず、昆曲の基礎を持たない彼にとって、それは全く新しい挑戦だった。玉三郎が昆曲を日頃勉強しやすいように、張継青はわざわざ歌とセリフを録音して日本まで送った。彼らは歌詞やセリフの一語一句の意味について電話を通して頻繁に話し合い、理解を磨き上げた。この芸術に対するこだわりの姿勢、自分に対する厳しい要求、そして決して諦めず、弛まぬ努力もあって、ついにたぐいなく素晴らしい日本と中国のコラボ昆曲『牡丹亭』は実現したのである。
念願叶う『牡丹亭』上演
2008年、坂東玉三郎は京都、北京、蘇州、上海でそれぞれ『牡丹亭』の公演を行い、大きな成功を収めた。日本と中国の芸術家が同じ舞台で昆劇を演じるのはこれが初めてであった。この日中版『牡丹亭』では3名の女形が杜麗娘を演じた。玉三郎の出現によって、昆曲の舞台では70年あまり姿を消していた女形という芸術は人々の注目を集め始めた。彼の優しく柔らかな言葉は観衆の耳を大いに満足させた。また、一挙手一投足に漂う古典の気品は満座を驚嘆させ「玉牡丹」と賞賛された。600年の歴史を持つ中国の昆曲は国境を越え、大きな異彩を放ち、たくさんの日本の観客に近距離で中国の伝統舞台芸能の魅力に触れる機会となったのである。
昆曲に見られる日本的美学
玉三郎の演技は緻密かつ含蓄に富み、柔らかさの中にも力強さがあり、歌舞伎の特徴を鮮明に帯びていた。杜麗娘の一挙手一投足や一喜一憂は中国の伝統的な「写意の美」と日本の「もののあわれ」という古典美が共通して持つ要素を押し広げたものであった。日中版『牡丹亭』は全体を通して昆曲の軽く柔らかで優しい味わいをいっそう有し、同時に歌舞伎の耽美的かつ物悲しい雰囲気を帯びており、伝統芸能の古典精神と日本式の美の形とが自然に溶け合っていた。また、女形の表情やしぐさを完璧に理解解釈し、女形特有の雰囲気を発するものだった。昆曲の緻密さと含蓄、そして柔らかな優しさの中に含まれる力強さという特徴に、坂東玉三郎はこれこそ東洋でもっとも美しい芸術だと感じ、中国文化の奥深さを感じたのである。