扇面書画、時代を超える東洋のエレガンス

中国は昔から「扇子の王国」として知られており、扇子の歴史は非常に長く、扇子の文化も非常に古い。団扇は中国で発明され、奈良時代に日本に伝わった。その後、日本人が中国の団扇を改良して扇子を発明し、宋の時代(960年-1279年)に朝貢品として中国に伝わった。

『古今注』によれば、最も古い扇子は舜禹時代に登場し、当時はまだ羽毛で作られた羽扇で、勢いをつけ、皇帝の威厳を増すためのものだったという。

漢の時代(紀元前202年~紀元後220年)に中国で絹の扇子が出回り始め、扇子文化が生まれた。 女性たちは縁起を担いで、扇に花や鳥、鴛鴦(おしどり)などを刺繍した。 東晋の時代(317年~420年)以降、扇は書画と組み合わされるようになり、文人や詩人たちは扇子という「小さな世界」に筆を走らせ、山や川を描いてきた。書家の王羲之(おうぎし)、王献之(おうけんし)父子は皆、扇面の文字に絵を描くのが好きだった。

宋の時代には中国の美意識が花開き、扇絵が盛んに描かれた。宋の恵宗皇帝をはじめとする統治者の精力的な振興も相まって、扇面書画はかつて最盛期を迎えた。扇の上には、大きな楼閣や山水から小さな花、鳥、魚、昆虫、草木に至るまで、すべてが繊細で素晴らしいものだった。

『宋史』によれば、西暦988年、日本の僧侶が檜扇20本と蝙蝠扇2本(いずれも扇子)を献上した。 その後、明の永楽帝が扇子を好んだことから、扇子が流行するようになった。扇子については、北宋の文人、蘇轍も『楊主簿日本扇』という詩を書いた。

扇子は明の時代に流行し、清の時代になるとさらに普及した。扇子の機能も次第に変化し、当初の涼しさや蚊よけから、文人や官吏の身分や趣味を象徴するものに変わっていった。扇子のスタイルも多様化し、扇面に込められた東洋の美意識はさらに広がりを見せていた。

団扇と違い、扇子はひだの開閉が複雑で、描くのに繊細さが求められる。扇の骨やひだに合わせて絵のレイアウトを整える必要があることも多く、芸術的概念を重視する中国絵画そのものの意味合いに近い。

筆者:詩織

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