「秦淮灯彩」を世界中に知らせ、伝承者の顧業亮を深く理解する

老南京人にとって、提灯を買って明かりを灯すことこそ、お正月だ。

春節前後は、中国無形文化遺産の秦淮灯会の代表的な伝承者である顧業亮が最も忙しい時でもある。彼が竹や木の骨組みに紙などを張り付けてつくられる花灯は、いつも人の目を引くことができる。

「時代は変わりつつあり、中国の『正月の雰囲気』への追求は変わっていない。秦淮灯彩は南京地区を代表する民間芸術の一つであり、物語と感情に満ちている」。顧業亮は、「伝統文化の伝承を守り、古きを退けて新しきを出すことが秦淮灯彩の発展の根本だ」と述べた。まさに文化伝承と技術革新によって、顧業亮は南京の秦淮灯彩を世界に知らしめた。

文化への自信を示し、中国の美を伝える

「初出展の南京秦淮灯彩を歓迎しましょう!」オランダのGLOW Eindhoven光の祭典の開会式で、アイントホーフェン市長は挨拶の中で秦淮灯彩を紹介し、この形式を通じて中国の優れた伝統文化を多くの人に知ってもらうことを喜んだ。

挨拶の後、市長は他の観客と一緒に秦淮灯彩展区に入り、69本の「ひまわりの花灯」を観賞し、東方の無形文化遺産の魅力を感じた。「中国文化は古く、活気に満ちている」とアイントホーフェンの観客Jan A.G.は自分の見た感じをこう述べた。

ここ数年、顧業亮は50以上の国と地域を訪れ、南京の「秦淮灯彩」でロンドンのテムズ川、エジプトの街、イタリアのミラノ万博などを点灯させ、外国友人の顔も明るくし、南京の無形文化遺産を広めた。

2019年、CNN中国区商務副総監のJosephが撮影チームを連れて南京を訪れた。彼らが撮影した動画の中で、57歳の顧業亮は南京方言で秦淮灯彩の背後にある伝統文化を紹介した。そして顧業亮の家、工作室、工場を撮影し、この無形文化遺産の伝承者が花灯を作る過程を記録した。動画がアップロードされてからわずか1カ月で、海外メディアへのアクセス数は100万回を超えた。

62の工程の背後にある52年の歳月

秦淮灯彩は世界で人気があり、タジキスタンからの留学生李玲は、顧業亮を師として、灯彩の制作を学んだ。しばらくの間勉強して、彼女はもう骨組みに花紙を張り付けることができるようになった。

灯彩の作り方は非常に複雑で、一つの蓮花灯がきれいな葉と花びらを持つには62の工程が必要だ。灯彩職人になるには、絵画、書道、切り紙、骨組みの束ね、浸染などができるだけでなく、芸術的創造力と忍耐力も必要だ。灯彩を作るすべての技を習得するには、少なくとも8年かかる。

1962年、顧業亮は南京の老門東に生まれた。当時の老門東には灯彩作りの職人が多く集まり、8歳で父親に灯彩作りを習い始めた。18歳の時、彼はまた灯彩職人の李桂生を師として、名家の長所を灯彩創作に溶け込んだ。彼は灯彩が好きで、アイデアが多く、作った灯彩も特別だ。1986年、彼が作った仙鶴灯は展示の時に大人気で、南京夫子廟工芸彩灯場に師匠として招待された。彼の指導の下で、絶えず実践を通じて、秦淮灯彩の芸術表現手法は豊富になり、彼らがデザインした携帯型灯彩もカナダ、イタリア、マレーシア、シンガポールなど世界各地に現れた。

無形文化遺産の伝承は、若手の頃から

無形文化遺産に対して、ほとんどの伝承者が困惑しているのは自分の技術はどのように伝承していくのか。「伝承と保護は統一的であり、相対的でもある。秦淮灯彩は伝承を続けるには、若手の頃から育成しなければならない」。

ここ数年来、顧業亮は幼稚園、中小学校、大学で秦淮灯彩を宣伝し、灯彩歴史展覧館、設計館を開いた。顧業亮はまた南京市秦淮故事灯彩交流センターを設立し、公益プラットフォームを通じて多くの国家級灯彩伝承者を学校やコミュニティに来させ、より多くの人に灯彩文化に触れさせ、制作過程を体験させ、伝統的な技芸を好きにさせる。、

現在、顧業亮はすでに12人の伝承者を育成しており、技術を教えるほか、学生たちに伝承者としての責任をどのように果たすかを教え、若者の考え方で灯彩の技芸を革新し、「二次創作」を行い、灯彩の伝承を担当する。

 「灯彩を作るのは大変だった」。灯彩と一緒にいた年月を思い出して、顧業亮は感慨深げだった。「でも私はきっとずっと堅持していく。秦淮灯彩はきっと精彩を放つと信じて、灯彩を作る人もきっと精彩を放つことができると信じている」。

寄稿者:Lusica

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