蘭州牛肉麺で知られる蘭州の歴史と文化の旅

蘭州と言えば、行ったことがない人は黄土高原や黄河、砂漠を連想するだろう。民謡を聞きながら、蘭州で汽車に乗り換えて次の場所へ急いで向かう多くの旅行者はこの都市と挨拶したばかりですぐ別れを告げるようだ。しかし蘭州で少しでも足を止めるのは旅行者だけではない。歩みを進めてきたこの都市は昔も今も外の世界に憧れている。ここには異郷へ出たいという欲望が渦巻くものの、牛肉麺と郷愁の思いとは切っても切り離せない。

麺一杯のために泊まる中継地

西北地域はこの数年間人気の観光地になってきた。もっと北へ向かうと、敦煌、張掖で砂漠文明を探し、新疆へも行ける。南へ向かうと、草原やチベット地区に着く。蘭州はいくつかの観光コースを繋ぐため、蘭州から西北地域での旅を始める人が少なくない。観光客が思っている蘭州ははっきり言うと、空港、高速鉄道、汽車の駅の間に位置して、一泊二泊して牛肉麺一杯を食べてまた旅に出る憩の場所である。

人々がこのように考える理由もはっきりしている。西北大環線、青海-敦煌環線という観光コースは蘭州からスタートし、ドライブ旅行なら蘭州に一、二日泊まるだけである。市内の白塔山から黄河の羊皮筏や中山橋を眺めたり、大衆巷や正寧街でグルメを堪能したり、甘粛省博物館の「馬踏飛燕(ツバメを踏んで駆ける馬)」を見学したりする。また、夜になると、三台閣に登って「眠らない街」蘭州を見渡し、ラーメンを食べて焼串を頬張り、ビールを飲み、旬の果物もつまむ。そうすれば一日の遠路の疲れも吹っ飛ぶだろう。

また、旅行者たちの記憶に残るグルメと言えば「蘭州ラーメン」だ。実は蘭州にはラーメンがなく、「牛肉麺」しかない。おいしい牛肉麺のために、蘭州にもう少し泊まりたい人は多いだろう。麺一杯だけ食べて、「一清、二白、三紅、四緑、五黄(澄んだスープ、白い大根、赤い唐辛子、緑のパクチー、黄色い麺)」が分からなくても、スープを一口飲むと、他の地域の蘭州ラーメンと違うことに気づく。屋外の小さな腰掛でしゃがんで、音を立てながらラーメンを豪快に啜り、落ち込んだ気持ちでも濃厚なスープに溶け込んでいくように、身心ともに癒され、気持ちよくなるだろう。

蘭州人は昔からさすらっている

今の蘭州はなぜ大型の中継地になったと聞いた場合、歴史を振り返ってみると、それが蘭州城に授けられた任務だということが分かる。蘭州城は最初からこの地域のためではなく、ほかのところとつながるために築き上げられたのである。

蘭州は山々に囲まれ、黄河の一番重要な渡し場に位置している。関中地区を経てここに着くと、庄浪河あるいは湟水河の谷から西へ行って、西域への道があるため、シルクロードはここから広がっていくことになる。唐代、蘭州はすでに中央アジア大陸と長安を結ぶ大都会になっていて、西域の少数民族はここに定住した。それから、商人、学者、僧侶、軍隊も相次いで蘭州を訪れた。北宋の時代、蘭州は「茶馬貿易」の大切な中継地になった。今でも、蘭州には、「馬灘」という地域があるが、馬と因んだ地名がたくさん残っている。

交通の要地や貿易の要所として、蘭州は来客が次から次へと集まるため、天然の宿場や憩いの場となり、異国の風情が溢れている。昔の蘭州人も外で長く商売をし、蘭州に戻って一休みして、また元気を取り戻して故郷を離れるという生活を送っていた。当時、辺境に出征する将軍にしても、通りかかる文人墨客にしても、蘭州が寂しげに描かれた。蘭州城の美しい景色や独特な地形は蘭州を離れる人の目に色褪せたように映り、込められた壮大な志と国民への思慮は蘭州人ならではの漂泊の定めに思いのほか釣り合っている。

今日、蘭州は「八縦八横」という高速鉄道の計画において欠かせない中枢となり、京蘭線、蘭広線、徐蘭線、蘭新線は全て蘭州を通っている。このように便利になったため、蘭州人の外を狙う意欲はさらに抑えられなくなるだろう。人材を引き付ける企業力が足りないし、生活コストや住宅の値段が高すぎるので、新世代の蘭州人は「絶対ここを出る」という思いから逃げられないだろう。バンド「低苦艾」(Low Wormwood)は『蘭州蘭州』という曲で「いつも朝早く出かけ、きりがない黄河の水は東へ流れていき、道の尽きは海の入口だ」と歌っている。この率直な歌詞を聞いたら、外の地へ出た蘭州人はすぐ涙をこぼすだろう。

蘭州は故郷でもあり、信仰でもある

蘭州に長年住んでいないと、蘭州人の気持ちはよく分からない。蘭州は南の都市のように生活の息吹や文化的な雰囲気が感じられるところというより、義理人情が厚いところと評価する文人のほうが多い。蘭州人の暮らしに隠れている義理人情は無口で冷たい見かけの裏に隠されているふんわりした心のようだ。西北地域ならではの折れない根性があるため、一服する旅人を馬鹿にしたり、気持ちの弱い通行人をひいきにしたりしない。

移民都市である蘭州は人口の構成がかなり複雑だ。20世紀に「工業の揺り籠」と呼ばれた蘭州は、数十年前に現在の深圳のように輝いた時期がある。全国から集まった同志たちは時代の呼びかけに応えて、蘭州で一緒に頑張ったが、「蘭州を出よう」と自分の子に言いつけた。遠方に憧れているように見える蘭州人は実は故郷思いであるため、必死に離れようとしていながらも、故郷のことが常に頭の中で浮かんでくる。ほかのところで安定しても、蘭州人はまだ蘭州の様子が気になっているため、時々故郷に帰って、新しく建てられた高速鉄道の駅を体験したり、改善された緑化や環境を見に行ったり、母校に戻って後輩と蘭州の目まぐるしい発展を話し合ったりする。蘭州を離れるたびに、忘れられず、名残惜しい気持ちは常び強くなるのである。

ひんやりとした夜、「孤独」は多くの人の代名詞だが、蘭州で一生懸命働いている人、あるいは蘭州を離れる人はたくさんいると思ったら、「孤独」はみんなでシャアしているようで、さすらう雰囲気が漂うこの都市はかえって暖かいと感じさせられる。離れた人にとって、「蘭州」という二つの文字は信仰のようなものであり、故郷でもあり、さらに心の支えと言ってもいいだろう。仕事や勉強がうまくいっていない時は、蘭州に関する思い出を振り返って、「蘭州」のことに耳を傾けて、リセットしてまた前へ進む勇気をつけたらいいのではないだろうか。

—「九行・黎二千」より


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