蘇州に園林を見に行くのには2つの大きな理由がある。1つは、蘇州には1949年前に建てられた古典園林が100カ所以上現存し、江南地区の古典園林の数が最も多い都市である。2つは、蘇州は昔から江南の富裕繁栄の中心であるため、園林芸術の極みを発展させた。
蘇州園林に直面した時、どのようにその素晴らしさを感じることが出来るのだろうか。江南古典園林を研究している丁楓先生の話を聞いてみよう。彼女は園林の専門家と園遊客の二つの立場から、園林を観覧する道を共有してくれる。
園林の園主を知っておくこと
蘇州園林の言語は実は中国の伝統文化芸術の言語であり、その中で詩書画が園林に対する影響は最も重要で、特に明清以来の蘇州園林は、この道に精通した文人が直接参加して造ったものが多い。
例えば、「元四家」の倪雲林は獅子林の改造に参加した。呉門画派のリーダーの文徴明は拙政園の建設に参加した。また、園主の多くも芸術教養の高い士大夫であり、築山の職人も画理に精通していた。
園林の中の字は、園主と私たちの対話だ
西洋の庭園とは大きく異なるが、蘇州の園林にはたくさんの字がある。これも中国特有の書道芸術の表れである。
これらの字は園の至る所で見かける扁額や対聯、碑刻や壁に嵌め込まれた書条石(文章、書道作品などを刻む細長い石)である。例えば拙政園の最も主要な庁堂は 「遠香堂」 と呼ばれ、堂の前の水面に蓮の花が植えられ、園主が「蓮は泥より出でて泥に染まらず」のような高潔な品格に対する追求を表現した。
網師園の「看松読画軒」は、目の前の景色の内容と園主の好みを名前で示した。
留園の書条石は300余枚ほどあり、ほぼ一冊の留園法帖を編纂することができる。いずれの面にも園主が愛した文章と書道作品が刻まれている。
したがって、いくつかの書道といくつかの古文を知っていないと、これらの字を読めても、園主の趣味と追求を理解することもできない。これらの園主は、世間を逃れて隠れ住む方なのか、君子なのか、練達している陽気な方なのか、巧妙な禅心を持っている方なのかと少し感触できるだろう。
中国の山水画を少し知ること
蘇州園林の美しさはまたその画意にあり、これも中国園林の鮮明な特徴である。
園林は空間に対する造営手法が非常に豊富で、平遠、高遠、深遠の画意は園林の中ですべて検証できるので、築山も常に造園の重点である。
拙政園のような大きな園林は、平遠、借景の技法で景色をどんどん進め、最後に園外の北寺塔の景色も借りて、園林の深さを増加した。
留園の入口から視界のない長い回廊を歩いていくと、突然様々な形の窓が現れて、いよいよ庭園が見えるのかと思えば、竹林である。でも、人をじらすようなこうした演出は、訪れた人の期待感をますます膨らませる。
築山の最も有名な環秀山荘は、湖石の築山が2/3ほどの空間を占めている。築山を一周すると、その峰々が起伏し、丘と谷が縦横に走っている様子に驚くだろう。
以上から、庭園の中の画意を味わうためには、中国の山水画を理解しなければ、蘇州園林の言葉を読むことができないのだ。
庭園の造景は花鳥画に通じている
庭園の造景は花鳥画とも深いつながりがある。
園中には四季の花の香りが絶えない。春には拙政園の海棠春塢に花海棠を鑑賞できるし、夏には芸圃の蓮が美しい。秋には各庭園でいろんな菊花展が催し、冬には網師園のロウバイの香りを待つのがおすすめ。また、滄浪亭の竹や蘭、留園の藤や古銀杏など、植物の生長の素晴らしさも入園を引き付ける理由である。さらに素敵なのは、園内の洞門や漏窓から見れば、また絵画のように切り取られた景色が味わえ、絶対お見逃しなく。
庭園を生活空間にする
園林は生活の空間でもある。園林の中の亭、台、楼、閣、軒、堂、廊は園主がお茶でおもてなし、琴を聞いて曲を作り、読み書きなどをする場所である。いわゆる 「詩書画茶酒花」 という生活は蘇州の最も羨ましい味である。冬酒を飲む、お茶を飲む、昆曲の演奏を聴くなど、いまだに蘇州人の生活に残っている習俗もある。
今でも、双照楼でお茶を飲んだり、聴楓園で国画院の画師さんが描く作品を鑑賞したり、滄浪亭で『浮生六記』を味わえたり、網師園の夜花園を夜遊びしたりできる。
庭園を観覧するのは、古い園を探す
古今の造園の違いは主に二つある。
一つは材料の違いである。例えば築山は重要な造園内容であるが、現在は従来の太湖石が見つからない。現在は他の場所の太湖石の特徴と似る石が山を畳むことが多く、模様、尺度、石の穴と形の違いによって、作られた美的趣はとても違ってくる。また、もう一つは花木の品種選択も従来とは異なっていて、材料による好みの変化があると言うことである。
もちろん、美的情緒の変化は伝統文化の美の継承に対する不足や欠陥と関係がある。全体的に言えば、新しい庭園の美的水準は古い庭園に比べて確かに劣っていると思う。