いわゆる芸術とは、人によってそれぞれ見方が異なる。天馬空を行く人の目には、景徳鎮は人々に様々な方式や様式で「美」の表現を試す可能性を提供する場所として映る。「瓷都」である景徳鎮の魅力は、ここでは陶磁器に関するあらゆる幻想を実現できるということだ。このような「特立独行」のオーラに引き寄せられてこの地を訪れる夢追い人が少なくない。彼らは自ら進んで「景漂」(余所から来て景徳鎮に居着く人々)の一員となるのである。
景徳鎮で静かに自己を「表現」する
塑像工場の古い建物の2階、とても大きな展示スペースの後ろに隠れるようにして、いくつかのアトリエがある。そのうちの一つ、呉靖文のアトリエに入ってみると、無骨な造形で非常に大きな形をした、各種の黒い陶磁の花器がアトリエ中に所狭しと並んでいる。窓際に近づいてみると、そこには未完成の素地がいくつか並べてある。呉靖文は毎日このアトリエで作業をしている。
彼女が景徳鎮にやってきたのは3年前のことである。福建出身の彼女は大学ではアニメーションデザインを専攻した。数多くいる「景漂」のなかでは若い方だ。景徳鎮に来る前、彼女はいくつもの職を経験した。ゲーム会社に在籍したこともあるし、朝9時から夜9時まで週6で勤務する、いわゆる「996の生活」だって体験した。かつてはアフリカに行き親戚と会社を立ち上げたことだってある。そんな彼女だが、まわりにまわって景徳鎮にたどり着き、ゼロから陶磁器の勉強を開始したのだ。
一見すると弱弱しく見える彼女だが、しかしその心はとてもかっこいい。たとえば、彼女は大型の黒陶磁を好んで作る。そっちのほうが一目見たときに「存在感」があるからだ。これまで経験してきた仕事と比べると、磁器を作るのは独りで静かに自分のやりたいことをやるという自分の性格に合っている、そう彼女は思っている。
これからはアトリエを郊外の村へと移そうと考えている、そう彼女は口にする。そうすれば窯を使って自分で焼くことができるからだ。つまり、これから彼女はさらに自由に自分を表現したいという目的のためだけに、心安らかに創作をしたいという「先輩」たちと同じように賑やかさを捨て、さらに静かな「隠居」の生活を選ぶのだ。
呉靖文のアトリエ
景徳鎮には制限がない
劉新は陶磁器について正式な教育を受けたわけではない。いちばん最初に陶磁器の知識を理解したきっかけは、大学時代に読んだシリーズものの本だった。それは中国の伝統手工芸に関するシリーズで、陶磁器から織物、紙作りに至るまで、伝統手工芸がすべて揃っていた。すべて読み終わった後、劉の中で伝統手工芸に対する強烈な好奇心が湧き上がってきた。そこで、彼は大学4年生の1年間を使って、自転車に乗り三亜から一路北上し、それぞれの伝統手工芸が生まれた土地を訪ねて回ったのである。そうして旅を続ける中で彼に最も深い印象を残したのが景徳鎮だった。というのも、その他の多くの街では彼が求めた伝統手工芸はすでにゆっくりと姿を消しつつあったからである。なかには遺跡一か所しか残っていないところさえあった。ところが景徳鎮は違った。景徳鎮の古くから伝わる手工芸は一時も途絶えることなく、「手工芸の衰退」の痕跡がみじんも見られなかった。むしろ彼は手工芸製作者たちが一堂に集う雰囲気を感じとった。そこで、彼はしばらくの間景徳鎮に腰を据え、陶磁器工芸を体験してみることにしたのである。
景徳鎮で本格的にアトリエを開いたのは大学を卒業して4年後だった。卒業後、彼は北京の清華大学付属中学で数年間教師として勤め、主に陶磁器コースを教えた。この経験で陶磁器の理論と知識について十分に準備することができたが、しかしやはり「やってみたい」という気持ちは消えなかった。そこで、北京から南下し、景徳鎮に来ることを選んだのである。来たばかりの半年間は、ほとんど友達たちの仕事を転々とし、いろいろな問題について教えを乞うた。彼は言う。「景徳鎮は学校だよ。学びたいと思えば、教えてくれる先生を見つけることができるんだ」。こうして半年余りが過ぎ、彼は徐々に自分なりの考えを造り上げたのだ。
現在、彼は自らの器物ブランド「新之舎」を運営しながら、「617gallery」というアートギャラリーを経営している。日本の器物創作者も好きな彼は、自分の眼でより美しい器物作品を吟味・選別し、みんなに見せたいと思っている。「景徳鎮はこんなに自由なのに、自分自身でチャレンジしてみないのはおかしいだろ?」。彼はそう語る。
617gallery
ゆったりと落ち着いた景徳鎮の生活
湖南省益陽から来た鐘声は、かつて公務員として8年間勤めていた。ほかにも彼は書道を11年習っていて、余暇にはいつも週6時間かけて小さな楷書で写経をした。書道は集中力を持続させて机に向かう必要があるが、彼は書道の間の気分転換になる作業が欲しいと思っていた。刺し子に出会ったのはそんなときである。最初は完全に独学だった。少しずつ模索しながら経験を積み、自分なりの改良や工夫を加え、一連のデザインを少しずつ作り上げていった。
刺し子
2017年、彼は完成したいくつかの作品を手に北京で開かれたある小型展覧会に参加した。そこで少なからぬ反響があり、刺し子は彼にとって事業になった。しかし同時に彼は自分にはこれ以上刺し子を上手く作れないと悟った。そうして故郷である益陽に裁縫手芸が少なからず残っていることを思い出し、田舎に留まっている夫人やお年寄りたちと協力することにした。一職人から監督と役割を変えたのである。
一年少し前、彼は北京から景徳鎮にやってきた。景徳鎮を選んだのは、全国へと放射される「瓷都」の影響力のためだ。「瓷都」である景徳鎮の陶磁器、その下に敷く敷物を提供するサービスをすることで、彼はこの街で「引き立たせ役」を演じるのである。そうすることで、陶磁器の定期市に露店を出す主人たちが引き寄せた客を、そのまま彼の客として引き寄せることができるのだ。
1年余りの「景漂」生活で、彼は快適さを感じた。彼にとって景徳鎮はとても落ち着いた場所である。日々の日常は書道、読書、講座の聴講で、他のアトリエを訪ねたりもする。彼は言う。「景徳鎮に来たのは、一方では仕事のパートナーを求めてだけど、もう一方では手芸を見つけたり優れた手芸職人を発掘することで、彼らの存在を外に広める手助けをするためでもあるんだ」。
景徳鎮は様々なチャレンジを受け入れる
凡跡銀器工作室の段さんは鐘声の仲の良い友達だ。ひょっとしたら生活背景が似ているのかもしれない、初めて景徳鎮に来たふたりは互いを尊重し支え合ってきた。段さんは北京で18年生活したあと、今年、北京の部屋を売り払うと決め、景徳鎮にやって来て、この地に根を下ろした。
段さんは言う。「昔の生活をほとんど根っこから抜いてしまって、新しくやり直したいんです」。北京で生活していた時、彼女は銀器作りに熱中していた。マイナーな手工芸ではあるが、それに彼女は自分の存在価値を見出したのだ。そして彼女は景徳鎮にやって来た。彼女にとって景徳鎮は、いろいろなチャレンジを(そして失敗さえも)受け入れてくれる一種の「場」だからである。毎週土曜日の楽天定期市は、景徳鎮に来たばかりの彼女にとって現地の人や物事と接触する重要な社交の場である。毎週土曜日が来ると彼女は早くからブースに製品を並べる。彼女はここで製品を売る以上に、同業者やお客さん、クリエイターたちと交流したいと思っているのだ。
今のところ、彼女のアトリエで一番人気のシリーズは「錫の小人のブローチ」だ。このシリーズの作品名を彼女は「ある人」と名付けた。この街景徳鎮と同じように、このブローチをつける人にその人独自のオーラを纏って自分だけの独特な魅力を持ってほしい、彼女はそう願っているのである。
凡跡銀器工作室
呉靖文、劉新、鐘声、段さんは数多くいる「景漂」のうちのたった4人に過ぎない。安価な生活コストと豊富な芸術資源は、陶磁器への情熱を一つまた一つと高める。そうして手芸を愛する夢想家たちを全国各地から呼び寄せ、彼らは「景漂」一族となる。彼らのような陶磁器で集まった放浪者たちは同時に自ら陶磁器の世界を作っていくのだ。