福建省の南靖土楼で特別な年越しを

世界文化遺産に登録された「福建土楼」は、福建省永定県、南靖県、華安県の46の土楼からなる。中国の唐末と南宋時代、中原地区では戦乱が頻発し、庶民は大規模に南へ移り、東南沿海に生息した。外敵を防ぐために、大量の土楼が建設された。一つの土楼に数十の家族が住んでいて、血縁の核心をめぐって長く暮らしている。

土楼は最初が「五鳳楼」(5羽の鳳凰の鳥が翼を広げた形に似ている)で、徐々に方楼(四角形の要塞型)と円楼((丸型)に変わった。最も特色のある「田螺抗土楼群」は、一つの方楼と四つの円楼で組み合わされて、その形から俗称「四菜一湯」(四つの料理に一つのスープ)と言われている。土楼は家族式、堡塁式の建物で、家族が集まって住んで、力を合わせて外敵や侵入者を防ぐ。だから、客家人は祠堂を重視し、家族全体の凝集力である。

土楼は土で建てられているとはいえ、ひび割れを防ぐために土と泥を混ぜて発酵させ、壁を築く際には、竹や石を加えて壁を補強し、地震などの自然災害を防ぐことができる。ほとんどの土楼には縁起の良い名前がある。

私は南靖塔下村の青普文化行館に住んでいる。塔下村は典型的な客家村落で、四方を山に囲まれ、村の真中を澄んだ小川が流れている。

客家人は土楼の立地を選ぶときに山勢を見なければならず、山の高低起伏は風水の「龍脈」を示しており、土楼はまるで真珠が山にこぼれ落ちているようだ。2つの円楼が川の両岸に飾られていることから、「太極八卦村」とも呼ばれている。

客家人は「祖先崇拝」を信仰し、特に祠堂を重視し、張氏家廟徳遠堂は村全体の最も神聖な場所である。村人たちは「神篮」を担いで年末の祭りに参加した。宗祠は感情を結びつける重要な場所として、同本同根の信念を呼び起こすことができる。

家廟の前で爆竹を鳴らして祖先を祭る

功名を得り、祖先の名を上げることは客家人の一生の目標であり、家廟の前には24の石龍旗柱が立っており、その家族では才能のある人がたくさんいることを示すために使われている。それぞれの石龍旗は表彰旗のように、一代また一代の客家人を激励している。

青普土楼文化行館は五つの土楼から改造され、三つの清末方楼、一つの民国独棟土楼、一つの3階建て青磚楼を含む。

入り口の「楹聯」はだんだん薄くなり、歳月の痕跡を残している。この「楼聯」は土楼文化の重要な構成部分であり、土楼の入り口に刻まれて代々受け継がれている。

快適な客室

土楼に入ると、「勤倹治家、耕読為本」の対聯は至る所に見られる。稲孫楼の楹聯で「世間善事忠和孝、天下良謀読与耕」と書いている。昔の農耕時代、「勤倹耕読」は土楼人が生存と発展を得るため身を立てる本であり、一生懸命勉強して、功名を得ることは、祖先の名を上げることと見なされた。

会源楼と三つの土楼は川を隔てて、お互いを望み、小橋で彼らをつないでいる。会源楼は茶室、ヨガ室、手作工房など、多くの多機能空間がある。門の前の小川では、アヒルとガチョウが水遊びをしていて、小川のそばをまっすぐ歩いていて、両側には村人が住んでいる様々な土楼があり、どの家にも対聯が貼られている。

数日の雨を経て、やっと晴れた朝を迎えたので、山に登ってピクニックに行くことにした。30分ほどの徒歩を経て、私たちは目的地に到着し、自然豊かな場所で食事を楽しむ。

お茶を飲んでから昼食を食べ始めたが、鍋には土鶏、牛肉じゃが、蒸しカボチャなどがあり、新鮮な食材で簡単な美食を作ることが無限の楽しさをもたらしている。

客家生活体験

酸柑茶と「禾米飯」を学ぶ。客家の伝統的な美食「禾米粄」は、地元特有の禾米を蒸し、搗き砕き、型抜きして作られている。吉祥寓意の紋様を押すと、供物台の上で祖先や神様を敬うお菓子になったり、「良日」に使われたりする。これらの祈りを与えられた美食は、かつて祖先と一緒に南洋に行き、今は外で働いている遊子たちに連れられて、故郷への思いを託している。

酸柑茶は非常に複雑で、作り方に最も詳しい客家の女性でも作るのは容易ではない。酸柑茶は「九蒸九晒」をする必要があり、数ヶ月の間、どの段階に問題が発生しても、これまでの努力や成果がすべてむだになる。

夜が来て、美食は一日苦労する最高の慰めだ。客家土菜を食べて、客家米酒を飲んで寒さを防ぐ。酒も食事も十分で、体も暖かくなった。

夜の土楼はとても魅力的だ。庭では、人々は篝火のそばに囲んで、幕を下ろして、野外映画を見始めた。音楽は谷に反響して、私の記憶の中の光になつた。

寄稿者: ferrari

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