「香山」といえば、北京の香山の紅葉を思い出す人が多いだろう。実は、「香山幇」は中国建築史で有名なチームで、蘇州出身だ。
蘇州と北京は「香山」のために繋がりができた。「香山幇」は北京の故宮を設計し、蘇州庭園を建設し、海外に中国建築を見せる……これらの建築スタイルは異なるが、同じチームから出てきて、「香山幇」のことをもっと知りたいと思わせる。
北京で有名になる
雄大な気勢を感じられる紫禁城は、婉曲な蘇州とつながるのはできない。しかし、もとは蘇州の香山幇所属の名匠蒯祥は、明初期の北京故宮の設計者だ。
蒯祥は建築技術が優れているだけでなく、美を的確に見極める能力もある。彼は施工前に計算を行い、竣工後の位置、距離、大きさ、設計図と全く同じである。故宮のほかにも多くの建築工事に参加しており、「凡百造営、祥無不与」。晩年では明の十三陵の一つの裕陵の建設などを担当する。80歳になっても、後輩に経験を伝授するのが好きだ。
蒯祥のため、「香山幇」が有名になった。香山幇職人たちが卓越した建築技術で世間を驚かせた。彼らは異なる材料で美しい建物を建てることを知っている。毎年冬至になると、正午の12時の陽光が地面を照らすと、乾清宮の「正大光明」扁額には、西から東に向かって「正大光明」と五つの金龍が順番に明るくする。このような奇観をもたらした原因は、香山幇職人は蘇州の御窯金磚を選んだことにある。
唐朝から江南では園林の建設が流行し、北宋皇家が蘇州に設置した応奉局は、職人たちが北京に行って府苑を建設できるようにした。紫禁城の中の蘇式彩画を見て、金磚地面に刻まれ、雄大な気勢と風雅が調和しているのを感じた。これらの元素はすべて香山幇職人の故郷蘇州から来ている。
苏州園林、念を入れて彫刻する
もし故宮が香山幇が建てた最も有名な建物だったら、園林を建設することは彼らが長く続けてきた仕事である。香山幇が建てた園林は、きっと精品に違いない。
香山幇職人は建築技術が優れているだけでなく、文化、美学を建築に注ぎ尽くす。多くの蘇州建築の中で、園林は精華を集めて、そして多くの園林の中で、拙政園はすべての園林の長所を集めて、これはすべて香山幇の設計のためだ。
その中で、鴛鴦館はとても奇妙だ。それが「鴛鴦」と呼ばれるのは、いわゆる鴛鴦式の構造、すなわち、室内が南北に仕切られている構造になっている。南側の部屋は暖かくて、冬と春に住みやすい。北側の部屋は涼しく、夏と秋に住みやすい。そして、北側の部屋は丸天井になっているので、音響効果をよく、昆曲などの音楽を楽しむことができる。
香山幇職人は、優れた建築技術で蘇州に多くの美しい園林を残した。彼らは既存の条件の下で精美な建物を設計することができるだけでなく、人々を庭園の中に快適な空間を持つことができる。
今、どこへ行くのか。
千年帮派は、長続きするには、困難を乗り越えなければならない。明清時代、香山幇職人の数は徐々に増えているが、時局が揺れ動きにより、人数は少なくなり、修理工事しか受けられなくなった。
その後、一部の人が召還されたが、香山幇には「陸家」と「薛家」しか残っていなかった。復古だけでは香山幇の技術は続かないので、彼らは新しい技術を学び始め、世界に向かった。
1978年、アメリカのメトロポリタン美術館の代表団が中国に来て、中国園林の移築を希望した。そこで香山幇の薛福鑫は職人たちを率いて、「網師園」の「殿春箸」を基礎に「明軒」を設計した。面積は小さいが、書斎、築山、花壇、清泉、半亭がそろっており、ニューヨークの美しい景色となっている。
2006年、貝聿銘は蘇州博物館新館を建設し、これは香山幇職人に大きな激励を与えた。多くの若者は建築が好きで香山幇に加わった。香山幇はまた蘇州大学と協力して、技術育成方式を現代教育システムに加えた。
香山幇は良い方向に発展しているが、香山幇職人のゆっくり丁寧な作業の建築理念と効率を追求する現代社会の矛盾は、依然として香山幇の伝承を制限している。
CNNは2017年の世界十大豪邸を選出し、1位は中国式建築「桃源郷」、建設者は「香山幇」だった。多くの複雑でほとんど伝承されていない技術が、「桃源郷」の中で再現されている。しかし、一つの技術を普及させるには、ハイエンド市場で活躍するだけでは足りない。
香山幇がもっと多くの人に熟知されることを望んで、雄大な紫禁城、秀美な園林などはすべて香山幇が中国のために残した建築の至宝である。移ろう年月に、香山幇は中国建築の舞台で活躍し続けることができるのだろうか、答えを時間に任せましょう。