中国江蘇省塩城市、大豊麋鹿国家級自然保護区、シフゾウと湿地の美を満喫

炎天下で、たとえ何もしなくても、汗がぽたぽた流れそうだ。にもかかわらず、塩城市に来ると、潮風に吹かれながら、落ち着いて湿地の景色を楽しみ、シフゾウが自由に走っているのを見ることもできる。このような幸せと喜びが溢れる旅をどれほど待ち望んでいるだろう?

江蘇省大豊麋鹿国家級自然保護区(中華麋鹿園)は塩城市黄海の浜にある湿地干潟に位置し、従来からシフゾウの生息地とされている。それに、世界唯一のシフゾウ文化を主題とした観光地でもあり、保護区内にあるシフゾウの数は世界中のシフゾウ全体のおよそ60%を占めている。

電教館へ入り、シフゾウの数奇な物語を聞き

シフゾウのみのために来たのではない人は、電教館を観光の始点にしても悪くない。7年間もかけて撮影されたスペシャル・叙景映画『ヘラジカの帰り』を通じ、シフゾウの前世及び現世も余すことなく現す。

約300万年前から、シフゾウは中国の長江、黄河の平原沼地に生息している。シフゾウは人類に飼われてから、次第に皇権、吉祥と魔除けの象徴となっており、宗廟の祭祀にもよく用いられている。また、シフゾウは「角は鹿、面は馬、蹄は牛、尻尾はロバ」の外形が原因で「四不像」と呼ばれている。封神演義の姜子牙は神獣の四不像を乗っていると言う。

シフゾウの繁殖は一時盛んになっていましたが、清王朝になると、北京の南海子ロイヤル猟場における三、四百匹しか残っていなかった。その後、シフゾウはフランスの博物学者で宣教師のアルマン・ダヴィッドと深い縁を結びまして、伝説的な物語にもなった。彼は偶然に発見した南海子のヘラジカを真新しい生物として大衆に発表し、そのニュースはすぐにヨーロッパでは大騒ぎを起こしてしまったので、1868年からシフゾウの姿がヨーロッパの動物園で見えるようになる。

暫くして、中国ならではのシフゾウという珍しい動物は本土から消えた。それだけではなくて、異国を彷徨っていたシフゾウの群れも気候風土に馴染まないため弱り果てて、最後は18頭しか残っていなかった。幸いに、イギリスのある公爵はシフゾウ全て購入し、ロンドンの荘園で放し飼いにしていたおかげで、シフゾウの群れは次第に起死回生の時期を迎えていた。

百年が静かに経ち、イギリスから無償で贈られた39匹のヘラジカは改めて中国に帰ってきた。シフゾウは先祖が生息していた沿海地方に戻り、絶え間なく生まれ育ち、繁殖しています。塩城市も江蘇省大豊麋鹿国家級自然保護区を設立し、これでシフゾウはやっと海外での浮き草生活を終え、自然に戻った。

園地でそぞろ歩き、心を癒すシフゾウと出会う

遊覧車に乗って、シフゾウとの出会いがここから本番に始まる。湿地の風景に伴い、シフゾウの群が目の前に現れてくる。こちらは「金灘鹿鳴」と呼ばれる地域だ。半野生状態で育てられたシフゾウたちはこの地域でのんびりと遊んでいる。次に、人工飼育区に着く。ここでは、のうのうと贅沢な暮らしをしているシフゾウの子たちの姿が見られる。飼育員が毎日定食を持ってきますが、シフゾウの子たちは、それに満足せずに、自ら園地で走り回して餌を捜している。シフゾウがきたら、お手元の人参を惜しまないで、是非とも彼らたちと近距離的に遊んでみる。

幹線道路に沿って北に行くと、ヘラジカの「乾休所」が見られる。ここで暮らしているのは、シフゾウの群の発展に大変貢献があったシフゾウの王だ。定年になった王様達をここに囲ませたのは、連続的な再任がもたらす群の遺伝子の単一性を防ぐためだ。

立ち止まって、鹿王争覇戦を見ましょう

シフゾウの群には、厳密な階層制度があり、典型的な皇帝式の管理制度が行われている。シフゾウの王は群のすべてを支配する権力と唯一の交尾権を有している。そのため、シフゾウの王になるのは簡単ではない。

初夏のシフゾウパークは、鹿王争覇戦がちょうど始まったところだ。争覇戦では、成年になったオスのシフゾウたちは次々と挑戦者になり、力が尽きるまで、相手を倒すまで戦い合う。最後に勝者になったシフゾウは王になる。そして、新王は戦場から離れ、泥の池に踏み入れ、泥だらけまで体を泥で浴び、草の塊を角で拾い、勝者の伝統的な戴冠式を行う。それで、一見泥だらけのオスのシフゾウと見えるにもかかわらず、彼は鹿王争覇戦の挑戦者だったのかもしれない。

ここまで歩いてきて、いつの間にシフゾウの世界に陥ったと気がつき、なんと広い楽園だろうと感嘆する。ヘラジカパークの癒しの旅はここまで終わりますが、帰ってもヘラジカたちが園地で走り回して餌を捜したり遊びあったりした姿はまだ頭に浮かんでくるだろう。この意味深い旅を心に刻んでより良く生きていくように頑張りましょう。


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