口述:世界グルメの都淮安で、料理を教える

私の名は張勝来、江蘇省淮安市出身である。そう、最近世界グルメの都に選ばれまた淮安だ。私の職業も食品関連で、シェフ・チャンとか、張先生とか呼ばれ、人に料理を教える仕事をやっている。

子供の頃、教科書から「建国初の宴会」という文章を読んだことがあり、国内外のご来賓の好みを考慮した上、周恩来総理は、淮陽料理を開国初の宴会の料理として採用したという話であった。その時、私の心は強く打たれた。周総理のような方でも、故郷の料理を宣伝する努力を惜しまなかったのに、私も今後この誇りある事業をやろうかと。小さい頃の思いはまさかこれからの人生の道を決めたのだ。

No.1 壹

淮安は淮河沿いの都市であり、中国大運河の中枢でもある。独特の地域文化は、淮安の人々に2つの資質を与えられ、一つは苦難に耐えられる精神、もう一つは物事の価値を最大限に活用する慣習。両親が普通の豆腐や小麦粉を活かし、香り溢れるグルメにつくりあげることを小さい時から実際に見ていた。

淮安には「平橋豆腐」という名物があり、素材の絹豆腐を小さな菱形に切る。雀の舌のように繊細に切る必要があるため、地元ではこの菱形の豆腐のことを「雀舌」という。そして、シイタケ、鶏肉、フナの脳みそと明油(ミンヨウ)からつくっただしを使用し、豆腐の旨味を引き出す。作り方としては簡単だが、「豆腐を切る」技術にかなりこだわりがあって、これを練習するのも私の授業時間以外の趣味となる。料理本を買って読みながらそれを理解、練習し、高校2年生になる頃にはホテルのプロと同じぐらいの雀舌豆腐を切ることができるのだ。

No.2 贰

料理の学習は、入学する前に思っていたよりもはるかに複雑で忙しい。当時、授業内容は揚州の文思豆腐であった時、豆腐を髪の毛よりも細く切らないといけなかった。淮安の「平橋豆腐」の「雀舌」より、文思豆腐はサイズ感の把握をもっと重視。そこまで細かくきるのは、目だけでは確認できず、感覚ではかり、包丁技術の安定さと精確さを求める時になる。さらに重要なのは、豆腐を鍋に入れた後、シェフの美意識の挑戦にもなる。だしを使って調味する以外に、豆腐の形を整え、盛り付けの能力にも備えないといけない。

文化と技術の両立は大変必要である。技術には常に壁があり、技術だけに詳しい料理人は味だけに誇られ、見た目・中身・奥義を兼ね備えるには、料理をつくるご本人の文化教養などと深く関わっている。

No.3 叁

高級宴会と言われる多くの人がこういう誤解があるようだ:念入りに手を加え、さっぱりする味わいをする伝統的な淮陽料理であれば、人々に好かれ、納得できるだろうと。実際には違うのだ。食への追求は科学技術の発展と同様に時代とともに進むのだ。料理人として、常に昔のメニューを改良し、オリジナリティーを磨いてからこそ、今どきの料理をできるのだ。

時には、現地の特性を反映しながら、外来の方々の好みに合わせる必要もある。例えば、三河酥鴨(クリスピーダック)は、外賓も便利に楽しめるため、いくつかの工夫をしている。伝統的作り方と同じくまずあげてから煮込むが、煮込みのときは汁を完全に収まり、皮と胸の部分だけを取り、北京ダックのように巻いて食べるのだ。このような形に改良するのは特別感以外に、食べる際に骨を外すのが苦手な慣習も考慮したのだから。

No.4肆

2009年、「中国淮陽料理文化博物館」が完成し、淮安で開館された。中国初の淮陽料理を名付けにした博物館であり、現在までで最も専門的な淮陽料理博物館でもある。この穏やかな古代都市はようやく、国家宴会に登場した「淮陽料理」という地域的なタグを人々に見せた。この小さな町から生まれた料理の体系は江蘇省の代表として、中国国の宴会料理として人に宣言した。

同僚と私の提案により、我がいる学校は淮陽料理にちなんだ国内初の学院「淮陽料理専門学校」を設立した。淮陽料理の名門校とは言えないが、その後の数年間、多くの達人がこの学院から出てきたのも確かである。

教師をしている間、学院の同僚は、人々を教え、業界の人材を送る以外に、もう一つ誇りを感じる重要な仕事がある。それは淮陽料理の文化を伝承するため、『淮安郷土料理』を編集することである。

そして今、この『淮安郷土料理』は、我が校料理専攻の学生たちが日常的に使っている教科書になっている。技術的やオリジナリティーなどがどれほど高い価値があるのではなく、本当は子供たちに今つくっている料理の起源を知ってほしく、その源をよく把握してからこそ、これからどこに向かおうとする思いに刺激を与えるだろう。

No.5伍

2010年、四川料理の首都である成都は、中国初の「世界グルメの都」に認定されて、淮陽料理の発祥の地である淮安出身者として、また淮陽料理の料理人として、実に大きな励ましと鞭撻になる。

それ以来、私は積極的に淮陽料理の文化と淮安のグルメバイブをピーアールする。2011年、オーストラリアとニュージーランドに行って、の淮陽料理を紹介する「四大料理・五洲行」のイベントに参加した。2012年、フランスとスイスに行って、淮陽料理を宣伝。2016年にはイギリスのベイジングストーク技術学院に行き、イギリスの学生に中国料理の技術を教え。2019年にはマカオに行き、その後に世界グルメの都選評の為に、淮安に関する宣伝と展示に力を注げた。

海外の人や同業に腕を見せるため、淮陽料理に基づいたオリジナルなものを多く出した。例えば、淮安車橋鎮から由来する淮安人の大好物である長魚、つまり田鰻、料理名としては「軟兜長魚」という。これをもとに、淮安で愛されている2つの料理、川の恵である長魚と獅子頭を組み合わせて融合し、「長魚獅子頭」を作り出した。味的に申し分無い以外に、淮陽らしさも保っている。

 

私たちのイベントを通して、人に本物の中華料理の姿を見せることが一番ののぞみ。小さい方面からいうと、中国の珍味を示す機会であり、大きくから見ると、な意味では、文化自信を表す方法一つでもある。

2021年、淮安にとって重要な年。この年に、淮安は世界のグルメの都に選ばれた。個人的な話になるが、料理を専攻しながらだけで、正教授になるとは奇跡だと言われている。しかし、奇跡ではないと私は思っている。これは時代の流れ・国の発達において、技術レベルに対する熟視と評価、そしてクラススキル教育への認め、また包容力のあるグルメ都のあるべき姿、そして高揚する大国の人の自信の証である。

寄稿者:食通グルメ記です

ABOUT US