漢文化のルーツを探す 夏季研学の旅

漢文化は中華文化の真髄及び象徴であり、全世界に大きな影響を及ぼしてきた。その為、見方によれば漢文は中華民族だけの文化ではなく、長い歴史の流れの中で様々な影響を各方面に与えてきた。 漢語、漢字、漢服、漢礼など長い時間の交流と融合を経て、真髄だけが残り漢文化の最重要要素となった。

徐州、古称は彭城、その昔から北国への鍵、南国への入り口であったこの地は、兵家必争の地であった。現在でも至るところに前世紀の戦争に使われた沢山の要塞やトーチカが残っている。 更にここは漢の高祖劉邦の出生地及び大漢王朝発足の地でもあり、大量の文化遺産、古跡、濃厚な歴史の蓄積、同時に近代歴史も克明に残っており、東方のアテネとも呼ばれ、隅々まで探求すべき物が盛りだくさんである。

漢文化景区ーーー帝王の偉業、英雄伝説

漢文化の真髄が凝縮している徐州漢文化景区は原獅山楚王陵と徐州漢兵馬俑博物館で構成され、徐州市街東部に位置し、漢文化のテーマパークとなっており、“漢代三絶”と呼ばれる、漢墓、漢俑と漢画像があり、両漢遺風濃厚な文化保護基地となっている。

楚王陵地宮

獅子山楚王陵は西漢第三代楚王の劉戊の陵墓で、徐州最大規模であり、多くの文化財が残されていた歴史的価値の非常に高い物となっている。 陵墓は独特な形で、その非常に大きなプロジェクトとなっており、岩石の完璧に真ん中に建てられた、非常に珍しい大規模西漢王朝の崖洞墓である。陵墓の中には金、銀、銅、鉄、翡翠、陶器など約2000もの貴重な文化財が残されており、それらは驚くほどの精巧に造られており、当時の職人の妙技を知ることが出来る。

漢兵馬俑

漢兵馬俑は始皇帝兵馬俑に続き考古学の重大発見である。

地下宮殿の奥深くに埋葬された壮大な兵馬俑は、多種多様に及び、それぞれ見表情が異なっている。 秦の兵馬俑は強さと靭性が特徴だが、それと比較すると漢の兵馬俑の表情は和やかで豊かに造られており、当時のこの地域の雰囲気が反映されていると見られ、漢王朝の社会生活、葬儀制度と軍事制度を垣間見ることができます。 これらの陶兵馬俑は職人が一つ一つ手作業で仕上げを行い、この工程で職人の多分に創意が発揮され、泥で造られた陶の兵馬俑に魂が込められ、生き生きとした千軍万馬となった。

漢画像石廊

漢画像石は漢代地下墓室、地上祠堂や門闕等の建築物上に彫刻された絵柄の事で、漢王朝時代の特徴的な芸術である。 これは漢代人の生命に対する執拗な追求に関連している。 漢代人は命は儚く短いと考えており、石を使って墓室を構築したり、その石の上に生きていた時の様子を彫刻として残すことで、生命が石のように恒久に残ってほしいという希望が込められている。

住所:徐州市兵馬俑路1号

開放時間:8:30〜17:00

チケット:90元

徐州博物館----楚風漢韻

徐州博物館は雲龍山の北麓に位置し、1757年に乾隆皇帝の南巡時の行宮跡地に建てられている。 “両漢文化は徐州を見ろ”と言われるように、徐州各地で発見された漢墓出土品や文化財は徐州博物館に集められている。ここでは

金縷玉衣、銀縷玉衣、銅縷玉衣がまとめて展示されており、文化財愛好者にとっては非常に貴重な場所となっている。 中でも最も有名な秘蔵品は金縷玉衣で、葬儀品の最高位品となっている。 玉衣は2498枚の玉片で造られ、1.1キロの金簾が使用されている。

漢王朝時代の人々は、翡翠を使って体の9つの気穴を塞ぐことで、数千年もの間、腐敗しないと信じており、体にピッタリとした玉衣を作った。

住所:徐州市和平路118号

開放時間:火曜〜日曜9:00〜17:00(16:30に入場停止)

雲龍湖景区ーーー古都新景

徐州博物館の向かいにある雲龍山の峰からの、徐州の街並みや山下の雲龍湖の眺めは素晴らしい。 広々とした湖面から排出される湿気が、山に豊かな自然を育み、毎年春になると湖にそって花が咲き非常に美しい場景を作る。静かな湖畔に沿って散歩すれば、都会の喧騒から遠く、近くに高く聳え立つ蘇公塔は、大文豪の蘇軾が後世の徐州の人々への幸せの念を込めて建築したもので、徐州文化にさらなる厚みを加えることになった。

住所:徐州雲龍湖湖中路1号

開放時間:全天

チケット:無料

寄稿者:三言两語_生活の物語

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