近頃、ナショナルジオグラフィック(NATIONAL GEOGRAPHIC)が「2023年の25の驚くべきデスティネーションと体験」 を発表した。ナショナルジオグラフィックの「ベストトリップ」のリストは、今後1年間で世界中の旅行者に最も訪れる価値のある目的地の情報を提供している。25の旅行先は自然、文化、家族、アドベンチャー、コミュニティの5つのカテゴリに分けられ、河南省洛陽市龍門石窟が2023年のリストに選ばれたのである
唐代の古代芸術が21世紀にどのように発展したかが多くの人の注目点となっている中、龍門石窟では最も効果的な試みが行われたこともリストに選ばれた重要な理由の一つである。
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龍門石窟
中国の石窟芸術は、紀元3世紀に掘られた最初の石窟から数えて、1000年余り続いている。洛陽の龍門石窟は世界で造像量が最も多く、規模も最大の石刻芸術の宝庫であり、国連教育科学文化機関に 「中国石刻芸術の最高峰」 と評価され、中国の各石窟の中で最も高い位置にある。
奉先寺
奉先寺は、龍門石窟で最大規模を誇り、芸術性も最も優れた摩崖型の群像である。本尊の台座北側には題目が「大盧舎那像龕」と記されており、9躯の大像のうち本尊は盧舎那大仏で、武則天を原型にしていると伝えられている。
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古陽洞ーー龍門初鑿、書道逸品
古陽洞は龍門石窟の中で開削時期が最も早く、書道の芸術性が最も溢れている洞窟である。古陽洞は北魏の孝文帝が育ててくれた祖母の馮太后のために作った石窟で、本尊の釈迦牟尼はすなわち馮太后の化身で、洞内には造像題記が約800余りあり、その中に書道の珍品 「龍門二十品」 の中の十九品が含まれている。
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賓陽三洞ーー北魏代表、チョキ手の仏
賓陽三洞は北魏の宣武帝が父の孝文帝に功徳を捧げるために建てたもので、賓陽北洞にある 「チョキ手の仏」 は、まさに人気石窟である。
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賓陽中洞と賓陽南洞は名前が同じ系統ですが、中洞は北魏時代に建てられ、本尊は寛袍大袖形式な袈裟を着用していることは、漢化(中国化)の結果を表している。それに対し、賓陽南洞は太っていることこそが美しい唐代の風格を表している。本尊の阿弥陀仏は、顔がふっくらしていて、両肩が広く、体がふっくらしている。
蓮花洞ーー石蓮は高く浮き、立ち姿が独特
蓮花洞の蓮花彫刻は最も見る価値がある。北京人民大会堂の蓮花頂はこの蓮花に基づいて設計されているものである。
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釈迦牟尼造像は龍門石窟の中で唯一の釈迦牟尼立像で、南壁上部の小千仏は龍門石窟の中で最も小さい仏像だ。
龍門石窟は世界文化遺産の精華であるが、洛陽にはほかにもたくさんの旧跡があり、いずれも当地で最も見逃せてはいけない風景である。
洛陽古代芸術博物館
邙山は黄河のほとりの丘陵で、土層が深く、特に墓を建てるのに適しており、歴史上洛陽を都とする王朝はほとんど帝陵を邙山にしている。山上にはこれまで身分が明らかになった帝王陵が35基あり、山の周辺にはさらに40余基があり、歴代貴族の墓は数えきれないほどあり、「邙山の北部には意味のない土が少なく、洛陽の古い墓ばかりだ」という古詩もある。
洛陽古代芸術博物館は古墓博物館とも呼ばれ、邙山のふもとの邙山鎮にあり、前漢 (紀元前202年-紀元8年) から宋 (960年-1279年) までの間に盗掘された25基の墓を、北魏の景陵のそばに移設して集中展示している。
隋唐洛陽城国家遺跡公園
隋唐洛陽城国家遺跡公園は、隋(581年-618年)、唐(618年-907年)、五代(907年-960年)と北宋(960年-1127年)の都城の宮城区域の核心地帯であり、発掘後、一般人に公開される遺跡公園となった。
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遺跡公園は広い敷地がある。核心位置は唐の仕様で再建された明堂、天堂の2つの壮観な建築である。ここはかつて武則天が治政し、仏を礼拝し、生活する重要な場所で、内外ともに豪奢な様子で、盛唐時期の様相を呈している。
明堂と天堂の西には、かつて530年以上も存続し、長安の太液池の3倍の広さを誇った九州池があり、復元後はかつての皇室庭園が再現されている。
応天門遺跡
明堂の南は隋唐洛陽城応天門の遺跡で、元の名前は則天門である。ここは当時の朝廷が重大な国事祝典と外交活動を行う重要な場所である。現在復元された応天門も博物館として使われている。「二重観三出闕(昔の建築構造)」 の姿は古代建築の 「頂点」 として記憶に残る。
麗景門
壮大な麗景門は洛陽隋唐皇城の西南門で、昔の神事場所であり、東の鼓楼と向かい合っている。門は箭楼、城門楼と甕城から構成され、城楼に登れば、古い城のにぎやかさが見渡せ、城内の夜景を観賞する絶好の場所である。ここから城内に入ると、軽食や商店が集まる古城の遊歩道がある。